いつの頃からか、クルマが売れないと言われるようになっていた。
さらに、昨秋以来の世界的な不況がこの状況に拍車をかけていることは間違いない。
一見、この不況によりクルマが売れなくなったように錯覚しがちだが、
仮にこの不況がなかったとしても、やはりクルマが売れなくなっている事実に変わりはないと思うのだ。
そこで、独断と偏見に満ちたGT-Rマニアの視点からこの問題について考えてみたい。
今回は、その第1回目。

で、近ごろよく聞くのが「若者のクルマ離れ」という言葉。
ちなみに、ここで言う若者とは、若い男性を意味する。
他の自動車関連メディアや一般のメディアでも、よく取り上げられている話題だが、
何も最近になって見えてきた現象ではなくて、チューニングの世界にいた人間なら10年近くまえから感じていた問題だ。
でも、なぜかはわからなかった。

世の中には、マーケティングのプロを自称する高給取りがたくさんいる。
しかし、未だ明確な答えが出てこない。
よくあるのが
「趣味の多様化」や「携帯・パソコンなどの通信費の増大」、そして「若者の収入の激減」
などわかりきった答えだ。
確かに、それも一理あるだろう。
しかし、我々だって若い頃は金がなかったし、他の遊びだってあった。
それでも3食インスタントラーメンで、クルマやバイクにバイト代をつぎ込んでいたのである。

要するに「若者のクルマ離れ」という現象は、
「若者がクルマに興味を持たなくなった」
ということなのだ。

インスタントラーメンを3食食べてまでクルマに乗りたいとも思わないし、魅力も感じないということ。
仮に経済状況が良くなったとしてもこの状況は変わらないだろう。
結局、クルマに興味が無いから、他のことに投資をするわけだ。

では、何故、若者はクルマに興味がなくなったのか?
(以下、独断と偏見に満ちた考察にはいる)
ここでも様々な理由があると思われるが、私は
「男性の女性化」
が大きなウェイトを占めているのではないかと思っている。

あくまで一般論だが、女性の場合、投資の対象が自分自身に向く傾向が強い。
例えば、化粧品やエステ、ネイルサロンなど自分自身がいかに綺麗になれるかというものに投資をする。
クルマを選ぶ場合も同様に、自分自身が可愛く見える、あるいは素敵に見えるクルマを選ぶわけだ。
つまり、常に自分が中心にあるということ。

一方、男性の場合、大脳生理学的にも説明されるらしいが、モノに執着する傾向が強い。
メカニズム的に優れているとか、あるいはストーリ性を持ったものに引かれるわけだ。
機械式時計や一眼レフカメラなどのこだわりのアイテムがそれにあたる。
したがってクルマを選ぶ際にも、先進のメカニズムや圧倒的パフォーマンスに魅力を感じ、GT-Rにたどりつく。
(余談だが、以上の理由により男がGT-Rに魅せられる理由を女性に理解してもらうことは難しいだろう)
その際、自分自身に似合う、似合わないは関係ない。

話しを現代の若者に戻すと、最近はメンズエステで無駄毛を処理する若い男性が増えてきたという。
そればかりでなく、化粧をする人も増えていてそんな特集を組む雑誌もあるようだ。
さらに中高生にいたっては眉毛を整えるのはもはや常識という
(我々の時代は、眉毛は剃るか剃らないかの2つ。しかも、剃るのは敵を威嚇するためだった)。
つまり、投資の対象がモノから自分自身に変わったわけで、これはまさしく女性的な消費行動に移ってきたといえるわけだ。
これが、若者がクルマに興味を持たなくなった最大の理由だと推測している。

では、どうすればいいのか?
単に興味を持て!といってもそもそも無理な話。
クルマに全く興味のない女房殿にGT-Rに興味を持てと言っているようなもの。
残念ながら、有効な処方箋は見当たらない。
結局、クルマに興味を持つ若者が出現するまで待つしかないのだろうか。

男性が女性化する現象は、この国の歴史を振り返ってみても何度かあった。
共通しているのは、競争がなくなり格差が生まれて社会が停滞した時代だ。
競争が無いから、野生的なオスとしての男よりも、スマートな男がもてはやされるのだ。
最もわかりやすいのは平安時代であろう。
当時の富裕層である貴族社会では、体力的に勝った男よりも、繊細で和歌のうまい男がモテた。
男たちは盛んに恋心を和歌に託し意中の女性に届ける。
そして成就しなければ、ただ「さめざめ」と泣くだけなのである。
こうした繊細?な男たちがもてはやされる時代は、その後もなんどか訪れるが、それは大きな社会変革の前ぶれのようにも思える。

停滞した社会の下層に蓄積されたエネルギーは、あるときに一気に噴出する。
その結果、社会に対流が発生し競争の原理が働きだす。
こうなると、本来のオスとしての男たちがモテる時代になるのである。
古くは鎌倉武士の勃興にはじまり、戦国時代、そして近いところでは明治維新だ。
その直前には、いずれも文化的で繊細な男の時代があったのである。
「草食系男子」がもてはやされる現在は、まさにそういう時代なのであろう。

しかし、女性たちは次なる男の時代を直感しているのかもしれない。
格闘技に夢中になる若い女性や、最近では歴史好きな「レキジョ」たちが戦国武将や維新の志士たちに憧れを抱いているという。
この現象は単なるブームではなく、蛮性をおびたオスとしての男への回帰の予兆ではないかと思っている。
言い換えれば、女性たちはより生物として強いDNAを求めだしたのかもしれない。
このオス的な男たちの時代になると、競争の意識が高まり、より速いモノ強いモノへの憧れが強くなるはず。
そう考えると、クルマに興味を持つ若者がやがて登場しても不思議ではないと期待しているのだ。

それまでは、我々自身が大いにスポーツカーを楽しみ、
「肉食系の男」として暴れまくり、輝き続けることが必要なのではないだろうか。

次回は、一世を風靡したあの雑誌の弊害について考察したい。