真夏のあの小さな筑波サーキットに5万人もの観客が押し寄せたグループA。
ギャラリー駐車場に日本中のスカイラインが終結した伝説のレース。
力と力、技と技がぶつかり合う20世紀最高のツーリングカーバトルとして語り継がれる。
それもこれもBNR32という不世出のスターが存在したからこそだ。
29連勝という記録とともに、その勇姿は人々の記憶に永遠にとどまることだろう。
BNR32
全日本ツーリングカー選手権仕様

ユニシア ジェックス スカイライン
STPタイサンGT-R
カルソニックスカイライン


新車開発と同時進行で作られていたGr.A
勝つために作られたクルマは
今でもその迫力が肌に伝わってくる



Text: Motor Magazine
Photo: Hidekazu Nagamoto(MM)
By courtesy of GT-R BROS, Motor Magazine, 1999.







1993年 カルソニックスカイライン
(星野一義/影山正彦)
 WRCが安全面を考えて改造度の高いグループBマシンからグループAマシンで競われるようになった同じ頃、ヨーロッパのサーキットでは同じグループA規定に則って改造されたグループAマシンでツーリングカーレースが行なわれるようになった。その流れを受けて、日本でもグループAマシンによる全日本ツーリングカー選手権が1985年に始まった。
 当初、このレースはプライベーターの最上位カテゴリーといった位置づけで盛り上がっていたが、有力チームの持ち込む海外メーカーのマシンに国産車が負けるというレースが続くうちに、国内メーカーも真剣になっていくことになる。
 BMW635CSiやフォード・シエラ・コスワースRS500という強力なライバルに対して日産はDR30スカイラインRSターボで戦っていたが、パワー不足は否めずR31スカイラインGTS-Rをデビューさせた。このR31スカイラインGTS-Rは続いてデビューするR32GT-Rのためのデータ取りが目的という特殊な生い立ちをもっていた。


ビッグマシンのテール・トゥ・ノーズの接近バトルは観客の感性を激しく揺さぶる。プロとプロの技の対決が展開する非日常の世界がそこにある。(1991年・スポーツランドSUGO)
 ベースとなるR31スカイラインGTSに対してレギュレーションで交換が不可能なインタークーラーとターボチャージャー、リアスポイラー、フロントスポイラーをレースで実際に使うものに交換してエボリューションモデルとして市販したのがスカイラインGTS-Rで、この時のデータで最大のライバル、フォード・シエラ・コスワースRS500を破るために必要なエンジンスペックと空力特性、マシンディメンションなどを解析。すべてのデータがフィードバックされて登場したのがR32スカイラインGT-Rだった。







1993年 ユニシアジェックススカイライン
(長谷見昌弘/福山英朗)
 500ps、リア駆動のフォード・シエラ・コスワースRS500に対して600psオーバーを実現してくれるエンジン排気量とターボチャージャーサイズ、インタークーラーサイズ、前後スポイラー、ディメンションを設定し、レギュレーションで制限されたタイヤサイズで600psを受け止めつつもハンドリングを悪くしないために、普段はFRながらリアタイヤのスリップをセンシングするとフロントへ駆動を配分するというトルクスプリット4WDを開発。そうして生まれたのがR32GT-Rであり、レース車のベースとなったのがエボリューションモデルの“GT-R NISMO”だ。






1993年 STPタイサンGT-R
(高橋国光/土屋圭市)
 R32スカイラインGT-R最大の特徴は、2568ccという中途半端な排気量にある。これは、レギュレーションで定められた排気量と最低重量の関係からもっとも有利となる1260kgの最低重量となるように2600cc以下をチョイスしたためだ。タービンは標準車がセラミックタービンだったのに対して、レースベースとなったNISMOは600psオーバーに耐えられるようにメタルタービンへと換えられていた。
 サスペンションも、レースでは絶対的に有利といわれる前後マルチリンクサスペンションをおごり、とにかくグループAで勝つための基本スペックをすべて詰め込んで市販されたのである。
 グループA仕様では、ブースト1.6kg/c㎡まで上げて600ps以上、一説には 700psまでパワーを上げていたというが、ライバルであったフォード・シエラ・コスワースRS500が参戦しなくなってからは、ブーストを下げて耐久を上げ、GT-R同士のデットヒートを演出することになった。


1993年 カルソニックスカイライン
(星野一義/影山正彦)
 グループAでは、共石GT-Rのニスモとハセミモータースポーツ、ホシノレーシング、そしてチーム・タイサンとオブジェクトTに日産工機チューンのエンジンが搭載されていた。HKSとFETは独自にチューニングしたエンジンで戦っていた。
 今だから語れる話だが、日産工機がチューニングするエンジンはすべて同一コンディションとされ、レースの度に抽選として搭載するエンジンを配っていた。だからこそ、各チームの差はタイヤ選択とドライバーコンビネーション、レースでのピットワークといったレース戦略の違いで現れることになった。
 ニスモフェスティバルで走る3台のGT-Rは、ユニシア号が93年当時のままの姿、STPタイサン号が2000年にニスモでフルレストアされたもの、そしてカルソニック号が2002年に唯一残っていたグループAの新品モノコックを使用し、出来る限り新車時の状態に近づくようにレストアされたマシンである。