KPGC110 スカイライン2000 GT-R レース仕様
1972東京モーターショー展示車


Text: GTR-WORLD.net
Photo: NISSAN MOTOR Co.
1度もレースに出場しなかった
幻のケンメリGT-R TS仕様をレストア
初めて富士スピードウェイを走る!!


 歴代のスカイラインの中で、最も販売台数が多かったのが4代目のC110系通称ケンメリ。総生産台数は実に67万562台。月販2万台に達していたこともあった超人気車だった。その中にあって72年1月に発表・発売されたケンメリGT-Rは排ガス規制の影響で、わずか197台で生産中止に追い込まれたことはマニアなら誰しも知っている事実。






 稀少なスカイラインとしての存在価値は非常に大きいものの、こと走行性能に関してはケンメリGT-Rより軽量でショートホイールベースを採用していたハコスカHT・GT-R(KPGC10)を最良とする意見も多い。ハコスカから受け継がれたS20エンジンのパワーは160psのままだったから、大きく重くなったボディ(生産車比で+45kg)により走行性能へのネガティブな影響は少なからずあった。もちろん、当時としては画期的な4輪ディスクブレーキの採用などハコスカより確実に進化した部分も多かったが、時代の流れに翻弄された悲運なGT-Rといえよう。そして、スカイラインGT-Rの名前がR32GT-Rで復活するのに16年もの時間が必要だった…。


 ケンメリGT-Rがデビューした72年当時、日産ワークスGT-Rとカペラ、サバンナRX-3らワークス・ロータリー勢との戦いは日増しに激しくなっていた。5月の日本グランプリTS-bレースで、ワークスGT-Rがついに片山義美のサバンナに敗れる。そして、10月10日に行なわれた富士GC第4戦「富士マスターズ250キロレース」のTSレースを最後に日産はGT-Rでのワークス活動を中止することになる。





「無敵を誇ったGT-Rの時代は終わったのか?」日産ファンの落胆の声に応えるように、10月末の東京モーターショーにこのケンメリGT-Rのレース仕様車が展示された。参考出品車ということで詳しい説明はなかったのだが、ゼッケンの“73”という数字を見ても73年シーズンに向けてのTS仕様をアピールしていたということが容易に想像できる。ただ、エンジンはワークス仕様の機械式インジェクションではなく、キャブ仕様が搭載されていたというから本格的な開発車両ではなく、あくまでも展示を目的としたものだったようだ。しかしながら、高橋国光選手との組み合わせでポスターが作られ、その印象が強烈に焼きついているファンも多かったことから、幻のケンメリTS仕様は記憶としてずっと生き続けてきたのだ。そして、誕生から35年の時を経て、期せずしてケンメリGT-Rは生まれて初めてサーキットを走ることになった。

ケンメリGT-R
 日産の座間事業所の記念庫で静かに眠っていたゼッケン“73”のケンメリGT-Rは、NTC(日産テクニカルセンター)の有志で作るレストア・サークルのメンバーによってレストアされ、ニスモ・フェスティバルで走ることになったのだ。NTCのレストア・サークルは、日産車の開発部門の人たちが業務外に集まって、社内に残る文化遺産的なクルマを修復する総勢100人を超す集団。昨年は、240RSのWRC仕様をレストアしてニスモ・フェスティバルで走らせた。
高度にシステム化された新型車開発に携わる人たちの、自社の先輩たちが作った「作品」を手作業で蘇らせ走らせたいという熱い思いが伝わってくる。1度もサーキットを走ることなく眠っていたレーシングマシンを復活させ、どんな音色で走らせてくれるか楽しみだ。