BCNR33
1996年ル・マン24時間レースGT1クラス仕様
クラリオンGT-R


Text: Motor Magazine
Photo: Toshiki Kobayashi (ARGOS)
By courtesy of GT-R BROS, Motor Magazine, 1991.
ル・マン挑戦2年目の進化版として登場
ストロークアップの2.8ℓを搭載し
ミッションはHパターンの6速に変更



1996年の23号車のドライバーは星野一義、長谷見昌弘、鈴木利男の組み合わせ、22号車は鈴木亜久里、影山正彦、近藤正彦という組み合わせだった。カラーリングは2台とも同一のクラリオンカラー。
 95年のル・マン24時間レースに初参戦したR33スカイラインGT-RのGT仕様「ニスモGT-R LM」。
 開発が限られた期間内に行なわれたため、非常に手堅いデザインで作られた。エンジンはスパ・フランコルシャン24時間レースで使われた信頼性の高い日産工機製のグループA仕様をベースに、ル・マンの規定のエアリストリクターに合せてモディファイ。サスペンションは4輪ダブルウィッシュボーンを採用し、駆動方式をトルクスプリット4WDからFRに変更。レース仕様のサスペンションの設計を担当したのは、後にR35GT-Rの開発責任者となった水野和敏氏だった。ミッションは、すでに実績のあるXTRAC社製の6速シーケンシャルが23号車には搭載されていた。





全体のフォルムは1995年仕様とあまり変わっていないが、サイドスカートが小さくなり、リヤが絞り込まれているのが分かる。
 しかし、GT1クラスのライバルはカーボンモノコックを持った公道を走るグループCカーのようなマクラーレンF1をはじめとする生粋のスポーツカーたち。スチールのモノコックを手作業でGT仕様に仕立てたニスモGT-R LMとは、まるで次元の違う戦いに突入しつつあった。
 それでも、ニスモGT-R LMは果敢に挑み、一時5位まで順位を上げていた23号車はリタイアしたものの、N1仕様のエンジンに純正ミッションを搭載した22号車が10位でゴールしてみせた。
 その95年のマシンを基本に進化させたのが、96年仕様のニスモGT-R LM。この23号車は日産のエースマシン。ドライバーは星野一義/長谷見昌弘/鈴木利男の3人。外観はカラーリングを含めて95年仕様とほとんど変わっていないように見えるが、フロントからリアまであらゆるところに手が入っている。


インタークーラーは、市販車と同じ位置にマウントされている。顔付きはノーマルのR33GT-Rのイメージを大切にしたデザイン。
 まず、エンジンはノーマルのRB26DETTのボアはそのままに、6.5mm延長された80.2mmのストローク値を持つクランクシャフトを使用し、排気量が2795ccとなる新しいエンジンが開発された。これは日産工機が開発した全日本GT選手権用RB-X GT2(ボア87mm×ストローク77.7mm、総排気量2771cc)とも異なる仕様だ。
 インテークのコレクターが新しくなり、エキゾーストマニホールドもグループA時代から使われてきた耐久性重視のステンレス鋳鋼製からパイプ製のタコ足形状のものに変更。ターボの重さと振動でエキゾーストマニホールドにクラックが入ることを防ぐため、ターボ本体をストラットから吊り下げた。




バンパー下から出ている太いパイプは、トランク内に搭載されたデフオイルクーラーの熱気を排出するアウトレット。
 もっとも大きな変更点は、エンジンがドライサンプ化されたことだ。これによりオイルパンが小さくなったので、エンジンを95年仕様より30mm低く、30mm後方に搭載した。同じRB26DETTを搭載する98年の全日本GT仕様のR33GT-Rは、直6エンジンがほとんど見えないほど低く奥に搭載しているが、96年当時はこれが精一杯の変更だった。
 ミッションは、日産内製の6速ミッションが選ばれた。シフトパターンは通常のHパターン。95年はXTRACのシーケンシャルシフトを使用したが、96年はミッションによるタイム短縮よりも24時間戦い抜く耐久性を優先させたのだ。
 熱によるトラブル対策も徹底された。トランクリッドには、トランク内に設置されたデフオイルクーラーに冷却風を送り込むエアインレットが口を開いている。


ロールケージの形状は変更されなかったが、カーボンの板を張り付けたり裏打ちしたりして補強箇所を増やしている。
 サスペンションは、95年仕様と基本的に同じもの。前後のアルコン製キャリパーにカーボンインダストリー社製のローターというブレーキも変わっていない。ボディのすすけた汚れがカーボンブレーキの使用を物語る。
 ボディのコーチワークに関しては、ロールケージの入れ方に変化はないが、要所要所にカーボンの補強板が張られているのが新しいポイント。
 全体の作りは、バントしてでも確実に点を取るといった手法だと思える。が、ル・マンのライバルたちは、バントして走者を進めるどころか、バントそのものも許しくれなかった。
 96年の結果は、覚えていられる方も多いだろうが、22号車はブレーキトラブルでリタイア。この23号車はミッションを途中で交換し15位完走という不本意な結果に…。ル・マンのGT1クラスは、日産が考えていた速さとはまったく異なる速度で進化し、競争が激化していったのだ。


ホイールはレイズ製。のちにストリート用として売り出されるニスモのLM GT1>2のデザイン・ルーツはここにある。ル・マンではカーボンブレーキの使用が認められている。キャリパーは耐久性で定評のあるアルコン社製の4ポット。
 カーボンのモノコックを持った1億円のクルマをベースにしないと、試合にも参加させてもらえないような状態にル・マンは変わっていたのだ。それで、日産も97年からはTWRと組んでR390GT1にマシンを代えた。
 カーボンで出来たスカイラインGT-Rを、ファンは望まないだろう。しかし、97年のポルシェGT1のように、スチールのモノコックでもあれだけやれたのだから市販車にこだわっても方法はあったような気がする。
 ニスモGT-R LMは、そんな隙間に生まれた、勝利から見放された悲しい運命のクルマだったのかもしれない。






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