日産自動車の旧荻窪工場、そして旧村山工場をむすぶ街道がある。
-青梅街道-
正確には青梅街道から新青梅街道へつながる道と言った方が、今の時代にはあっているかもしれない。
聖地探訪シリーズの2回目は、この街道を辿ることにした。

Text: Shunsuke Takeuchi
Photo: GTR-World.net



青梅街道の歴史は古く、江戸時代の幕開けまで遡る。
1600年台初頭、徳川家康の江戸入府に際し、江戸城の大改修工事が行われた。このとき、外壁の白壁用の石灰が大量に必要となり、青梅の石灰を江戸まで輸送する街道が整備された。これが青梅街道の始まりとされている。
その後、江戸における石灰の需要は衰退したものの、多摩地域の物産の輸送路、あるいは山梨県(甲斐の国)への通行路として甲州街道とともに青梅街道は存続した。
当時の青梅街道は、日本橋から新宿までは甲州街道を辿る。現在の新宿3丁目付近で分岐して、青梅街道となったとのことである(ただし、青梅街道という呼称は明治以降のことらしい)。

現在の青梅街道は、新宿大ガード西交差点を基点に山梨県甲府市まで続く道である。
クルマで青梅方面までドライブするのであれば、青梅街道を走り続けるよりも西東京市田無付近から新青梅街道を横田基地付近まで辿る方が早い。なぜなら、この田無付近の分岐から、青梅街道は片側1車線となるが、新青梅街道は片側2車線のままだからだ。
もっとも、特に急がないのであれば、青梅街道をのんびりと走ってみるのも、より多摩の風情を味わえて楽しいかもしれない。

さて、今回は青梅街道の基点である新宿大ガード西交差点をスタートし、最終目的地の旧村山工場を目指して西に向かった。江戸時代の青梅街道最初の宿場町は中野だが、現在はかつての宿場町の風情は感じられない。その後、荻窪駅が左手に見えると、すぐに環状8号線の交差点だ。これをこえると、間もなく最初の目的地である旧荻窪工場跡地が右手に見えてくる。





<旧荻窪工場跡地>
日産自動車旧荻窪工場は、1924年に旧中島飛行機の荻窪事業所として操業を開始した。その後、終戦後の紆余曲折を経てプリンスの前進となる冨士精密工業の工場となる。この間、1953年にはロケット開発にも着手。1961年には、社名をプリンス自動車工業に変更、その後はプリンスの本社兼荻窪工場として数々の名車を生み出すこととなる。1966年には日産と合併。日産の宇宙航空事業部等の開発・生産拠点として活動を続けた。
しかしながら、1998年には、宇宙航空事業部が群馬県に移転。
そして、2001年には荻窪工場は売却され、その使命を終えたのである。

ちなみに工場跡地からは、旧中島飛行機が世界に誇ったゼロ戦用エンジン「栄」のコンロッドが出土したという。

現在、その跡地には大規模なマンションが建ち、僅かに、かつての工場正門付近にあった大きな木が往時をしのばせるにとどまっている。
また、工場正門前には日産系総合ディーラーである荻窪アプリーテがあった。
1988年7月には、現在のNISMOフェスティバルの前身であるサマーフェスティバルをNISMOがここで行っている。このとき、デビュー間もない西田ひかるがゲストとしてフレッシュな歌声を披露していたというから、時の流れを感じる。
そのアプリーテも現在はなく、中規模のショッピングセンターと、新たにオープンしたプリンス東京 荻窪店がたっている。ちなみに、この荻窪店はNHPC。当たり前のようだが、R35 GT-Rのメンテナンスディーラーである。

このプリンス東京 荻窪店の一角に、記念碑が2つ残されている。1つは「旧中島飛行機 発動機発祥之地」、そして「ロケット発祥之地」である。この他、「日産自動車前」という関東バスのバス停の名称に、ここがかつての日産自動車荻窪工場であったことを今に伝えるのみである。
荻窪工場に通っていた一人の中には、あのスカイラインの父として有名な櫻井眞一郎氏もいた。日本の自動車産業が高度成長期の波に乗り、最も輝いていた時代を象徴する聖地として、ここもまたスカイラインあるいはGT-Rにとって、大きな意味のある場所と言えよう。


荻窪工場を後に、再び青梅街道を西に向けて走る。
武蔵野市のあたりから、道の両側にはケヤキ並木が目立つようになる。夏なら、なかなか気持ち良さそうな街道の風景だ。
武蔵野市を抜けて西東京市に入ると、ケヤキ並木はなくなり、視界が開けてくる。東京都とは思えないような多摩地区の空の広さが心地よい。
田無1丁目の交差点を左に曲がると青梅街道。2車線路を道なりに直進すると新青梅街道にぶつかるが、今回は、途中で昼食をとるために左の青梅街道を辿ることにした。
交差点を左折すると、すぐに青梅街道2番目の宿場町、田無の町並みの中を走るようになる。この辺りは、10年くらい前までは、道の両側の商店に、かつての宿場町の風情を残していたが、今は近代化されてしまっている。

<多摩のうどん>
今回、昼食は「手打うどん」と決めていた。
元々、多摩地区は水の乏しい地域で、水田耕作には向いていない土地であった。このため、小麦やヒエ、アワなどの穀類が主に生産されていたという。したがって、正月や盆、あるいは冠婚葬祭などの際には、「手打うどん」をふるまう習慣があったそうだ。古くは、美味しい「手打うどん」の打てない女性は嫁の貰い手がないとまで言われていたらしい。つまり、「手打うどん」は数少ない多摩地区の名物ということになるわけだ。



今回、目指したのは小平市にある「手打うどん 平作」(へいさく)。
40年以上前から、この辺りの人気店で、昼食時はいつも大勢の客で賑わっている。青梅街道沿いにあるこのお店は、古い民家を改築したような造りで、店内の雰囲気も手打うどんを食するにはピッタリのイメージだ。ちなみに、ここのうどんは、毎朝、女性たちが打っているというのも、多摩の伝統にのっとっている。人気のメニューは、「鍋焼きうどん」と「もりうどん」。お店の方によれば、真夏でも鍋焼きを注文されるお客様が多いというから、よほど旨いのだろう。
迷わず、「鍋焼きうどん」を注文した。

15分ほどで、「鍋焼きうどん」が出てきた。ぐつぐつと煮えたぎった土鍋の蓋を開ければ、いかにも素朴な「鍋焼きうどん」の印象だ。具は大ぶりなネギのほか、竹の子や椎茸、玉子にえび天とかなり豊富。主役のうどんは意外と細めだが、真っ白ではなく少し黄色っぽいあたりが、いかにも手打うどんという風情が嬉しい。

熱々のうどんを、ふうふう言いながら食せば、うどんのこしが意外にシッカリしていることに驚く。妙に気取らない醤油ベースのつゆとの相性も良好で素朴な味わいを楽しめる。太めのネギも下仁田ネギ風の甘みが印象的。そして大好きな玉子は、最後の締めくくりにつゆと一緒に楽しむ。食べ終わってみれば結構なボリュームで、サスガに「もりうどん」まで手がでなかったのが残念であった。次回の楽しみにとっておくしかない。

「手打うどん 平作」は青梅街道沿いにある。
住所は小平市花小金井5-462(電話0424-61-6945)。村山工場方面にお出かけの際には、お奨めしたい1件だ。

<旧村山工場正門>
さて、お腹も心も満足したところで、カーナビを頼りに新青梅街道に移動、一気に村山工場跡地を目指した。

小平付近から約20分、武蔵村山市に入る。新青梅街道三本榎の交差点を左折、2キロ弱ほど走った辺りの武蔵村山市榎1-17辺りの交差点跡が、かつての村山工場正門前になる。

現在は、工事中で写真のような状態となっている。交差点の隣のガラスの建物は、かつてのアプリーテ店。これも今は閉鎖され、その建物のみが残されている状態だった。

何度か、打ち合わせで村山工場を訪れたことがあるだけに、現在の状況には複雑な想いにかられた。塀のスキマから見た跡地は、実に広大な原っぱとなっており、あらためてこの工場の大きさを実感させられた。思えば、1962年にプリンスの主力工場として完成した当時は、東洋一のテストコースを有するだけに、その跡地も広大なわけである。

<プリンスの丘公園>




旧村山工場正門前から、300mほど来た道を戻ると榎南の交差点がある。これを左折し、道なり行くと「プリンスの丘公園」に至る。

この公園については、開園当時にいくつかの雑誌が取り上げたので、既にご存知の方も多いだろう。今回は、公園を管理する武蔵村山市役所の道路公園課に話を聞いた。

「プリンスの丘公園」は、2005年5月31日に開園した。

設立の経緯は、日産跡地利用計画に基づく4者協議において公園等の整備が決定されたことによる。この4者協議のメンバーとは、日産自動車、東京都、立川市、武蔵村山市の4団体である(村山工場は、立川市と武蔵村山市にまたがっていたため)。

公園の予定地は、武蔵村山市の区域内のため、同市と日産自動車の個別協議により、具体的な内容が決められた。この個別協議の中で市の方から、地域の活性化などの恩恵を受けた旧プリンス自動車村山工場跡地であり、スカイラインGT-R発祥の地でもあるため、モニュメントのようなものを造ったらどうか?という提案を行ったそうだ。この提案に日産自動車が呼応して石碑が完成したのである。石碑のデザインや文章なども全て日産自動車が造ったものとのことだ。

一方、公園の名称については、公募の中から一番相応しい名称を市が選んで決めた。一企業の名称が公共の公園名称となることについては、プリンス自動車自体が現存していないため、特に問題にはならなかったそうである。仮に日産公園となると、議論になっただろうということである。

公園入り口には、日産自動車㈱村山工場跡地記念樹という大きな木がある。また公園内にはオーバルコースがあるが、特にテストコースをイメージしたものではないそうである。

この公園は最終的に、日産自動車が整備して武蔵村山市に寄付したもので、公園の設置場所は、旧村山工場内の完成車のモータープールだった場所となるそうである。

このように、官民一体となった都市公園は、全国でも珍しいのではないだろうか。
それだけに、スカイラインGT-Rというクルマの持つカリスマ性をあらためて思い知らされた感がある。

さて、今回の聖地探訪の旅は、都心からも十分に日帰りで可能なコース。
スカイラインあるいはGT-Rファンにとっては縁の深い二つの工場を結ぶ青梅街道は、まさに我々にとって聖なる街道といえるだろう。