聖地探訪Ⅲ ~スカイライン命名の稜線:草津前編~

スカイラインという車名の由来については、設計者の櫻井眞一郎がどこかの山並みを見て思いついたという有名な話がある。しかし、それがどこの山並みか?ということになると様々な説があった。曰く、伊豆スカイラインだ、いや富士山だ。あるいは乗鞍岳など。

私が小学5年生のころ、父が念願のスカイラインを購入した。いわゆるハコスカの2000GTハードトップで、週末にはよくドライブに出かけたものだ。父は運転しながら「設計者の櫻井眞一郎という人が、信州の山並みをみてスカイラインという名前をつけたんだ」と得意げに語っていたのを、鮮明に覚えている。だから、私の中ではスカイライン命名の山並みは漠然と信州のどこかだと思っていた。

Text: Shunsuke Takeuchi
Photo: GTR-World.net / Hiroshi Kitayama / Nissan







サイドのストライプは芳ヶ平から見た稜線
スカイライン命名の聖地はどこか?
40年後の2006年3月、ある映像メディアの取材で櫻井眞一郎のもとを訪れた。主に、GT-RやR380の開発秘話をインタビューしたのだが、最後に雑談としてスカイライン命名の地についてうかがってみたのである。

「志賀高原の芳ヶ平というところです。クサカンムリに方角の方という字でヨシガダイラです」と、櫻井は語りはじめた。

「あれは忘れもしない。昭和30年の3月21日でした。お彼岸の休みを利用して志賀高原にスキーに出かけたんです。夜行列車とバスを乗り継いでね。丸池から熊の湯までは歩いて行きました。翌朝、横手山の頂上から渋峠を通って草津温泉まで滑ったんです。その途中、「だまし平」というところがあって、その先に芳ヶ平がありました。当時は小さな山小屋がありましてね、そこで休憩したんです。その時、飲んだブドウ汁が実に美味かった。それで、自分たちが通ってきたコースを振り返ってみたんですよ。そうしたら、限りなく黒に近い青空に銀色の尾根が輝いていて、とてつもなく綺麗でねー。感動していたら、山小屋の親父さんが、「あのスカイラインで、今年3人遭難して亡くなったんだよ」と教えてくれました。東京に戻ってからも、ブドウ汁の味、美しい山並み、そして『スカイライン』という言葉が脳裏に焼きついていました」と櫻井は50年前の記憶を振り返った。

その後、プリンス自動車では開発中だった新型車の車名を社内公募で決めることとなった。芳ヶ平から見た景色が忘れられない櫻井は、『スカイライン』と書いてこれに応募。結局、この案が採用された。名車誕生の瞬間である。
ただ、公式的には当時のプリンス自動車の会長が名付け親ということになった。さすがに入社早々の若者が名付け親では、対外的にも具合が悪いということであったらしい。

しかし、何時のころからか、スカイラインの名付け親は櫻井眞一郎であると広く語り継がれるようになっていた。現に、私の父も40年前の時点でスカイラインの名付け親は櫻井眞一郎だと知っていたのである。

「誰が名付け親だなんて、私は気にしていませんでしたよ。俺が造っているクルマもあの稜線のように綺麗なクルマにしたいな。そんな想いで一所懸命クルマ造りをしていましたよ」



新たなキーワード
「スカイライン」命名の場所については、おそらく何度も櫻井の口から語られていたはずである。しかし、時の記者がうまく聞き取れなかったのか「志賀平」とか「宮ヶ平」といった記録が存在するのみ。そういう意味では、「芳ヶ平」という地名は今回初めて公にになったキーワードと言える。
櫻井のインタンビューの後、すぐに「芳ヶ平」という地名を地図で探してみた。すると、渋峠から草津温泉の間に、確かに芳ヶ平という地名が存在する。さらにネットで調べると、夏はトレッキングコース、冬はスキーのツアーコースの中継地点になっていて、今もそこには「芳ヶ平ヒュッテ」という山小屋が存在することがわかった。

そこで、「芳ヶ平ヒュッテ」に取材をさせて欲しい旨を連絡すると快く引き受けてくださった。ただ、連絡をしたのが3月で、現地の雪はまだ深くスキーを履いていないと行くのは無理らしい。それもある程度の腕がないと危険だとのこと。やむなく雪解けを待つことにしたのだが、それでも国立公園内にあるため、クルマでは行けない場所であることも判明した。

その後、櫻井のもとを再び訪れ、実際に芳ヶ平があったこと、今も山小屋があること、そして雪解けを待って現地を取材してくることを報告した。
「なにしろ50年前の記憶ですからね。それもたった1度行っただけ。現地に行ったら、写真をたくさん撮ってきて見せてください」と櫻井は少し不安げに語った。

「芳ヶ平」が、50年前に櫻井氏が訪れた地であるかを確認するキーワードはいくつかあった。
● 渋峠から芳ヶ平に向かう途中に「だまし平」という場所が存在するかどうか
● 昭和30年3月21日に山小屋が存在したかどうか
● そこでふるまわれた「ブドウ汁」が存在したかどうか
● 昭和30年1月から3月21日までの間に、その稜線で遭難事故があったかどうか


聖地確認の旅へ
2006年7月6日、梅雨の合間をぬってGT-Rマガジンスタッフとともに「芳ヶ平」への取材を強行することにした。この年は、天候が不順で様子を見ているうちに7月になってしまったのである。

「芳ヶ平」へのルートはいくつかあるが、50年前の櫻井と同じように志賀高原側から渋峠を経てエントリーすることにした。最初のキーワードである「だまし平」を確認するためもあったが、何よりも櫻井氏の見た風景を見てみたかったからである。

前日夜、雨の中を東京から志賀高原 熊の湯を目指してクルマを走らせた。我々も、熊の湯に一泊することにした。チェックインの際、ホテルの人に芳ヶ平までのルートを確認すると、道標もしっかりしているから迷うことは無いだろうとのこと。「ただ、つい最近クマに襲われた人がいるから、クマ除けの鈴は持っていた方がいいですよ」と脅されたので、さすがに3人分の鈴を購入し明日に備えた。

「だまし平」
早朝、渋峠に車を止め、徒歩で芳ヶ平に向かう。渋峠は時折霧に包まれるが、天気は晴れそうな雰囲気だ。熊除けの鈴をつけ、足場の悪いガレ場の登山道を歩く。途中、何箇所か木道となっているところがありホット一息つけるが、道の大半は岩の上を渡り渉るように歩かねばならない。
1時間くらい歩いたあたりで、ちょとした広場にでた。最初の確認項目である「だまし平」である。冬の間、スキーヤーが芳ヶ平へのコースを間違いやすいことから、この名前がついたそうだ。「だまし平」を後にして30分ほど歩くと、ホテルの人の忠告が的中した。我々は生々しい熊の足跡に遭遇。聖地への道のりは厳しいことを実感した。さらにしばらく歩き続けると、突然視界が広がり、眼下に芳ヶ平の緩やかな景色が広がっていた。はやる気持ちを抑えながら、我々は最後の急な下り坂をくだったのである。


「芳ヶ平ヒュッテ」
坂を下ると広々とした風景の芳ヶ平である。
芳ヶ平、正確には群馬県吾妻郡草津町に属する。この辺り一体は、芳ヶ平湿原と呼ばれ、貴重な高山植物や昆虫の宝庫なのである。

そして、この広い草原に立ち、渋峠の方向を振り返ってみれば、白根山から渋峠にかけての素晴らしい稜線が続いていた。これこそ、五十年前に櫻井が感動した山並みではないだろうか。そう確信した我々は、早速「芳ヶ平ヒュッテ」のご主人新堀さんにお話をうかがうことにした。

まず、櫻井が訪れた昭和30年に、この地に山小屋があったかどうかを訪ねてみると、昭和二十六年から存在したことがわかった。現在のご主人である新堀さんは三代目にあたるそうである。櫻井と話しをしたという山小屋の親父さんは、初代の佐藤才吉翁ではないかと新堀さんは言う。才吉翁は既に他界され、今は山小屋の脇に慕標がたっている。


幻の「ブドウ汁」
続いて「ブドウ汁」についてうかがった。新堀さんによれば、「ブドウ汁」は、かつてこの辺りの名物だったらしい。要は天然ブルーベリーのジュースだとのこと。右の写真はその花だ。日本名は黒豆の木というようだ。15年前から実の採取が禁止された。理由は、この木に生息する天然記念物のミヤマモンキチョウの幼虫を保護するためだそうだ。

しかし、いまだにブドウ汁を求めて、この小屋を訪れる人がいるというから、よほど美味かったのであろう。櫻井が飲んだブドウ汁とは、どんな味だったのか?今となっては味わうことのできない「幻のブドウ汁」というわけだ。



地元でも語り継がれる遭難事故
そして稜線を特定する決め手となるのが、遭難記録だ。新堀さんは古い遭難記録を出してきてくれた。
そこには、昭和30年1月と2月に山田峠において2件の遭難記録が確かにあった。特に2月の遭難事故は大きなものであったらしく、新堀さんも伝え聞いていたほどである。山田峠は、パノラマ写真の稜線のちょうどくぼんだ辺りである。この瞬間、この稜線に間違いないと確信したのである。

後日、我々は櫻井にこの取材を報告した。櫻井はその写真を見るなり、「まさにこの景色ですよ。私が50年前に見た山並みはこれです。この稜線が銀色に光っていましてね、それは綺麗だった。いやぁ、この感激は言葉になりません。よく行ってきてくれた。本当にありがとう」と涙を浮かべながら頭を下げた。我々もまた、言葉にならず熱いものが胸にこみ上げ、この取材を敢行して良かったと思ったのである。

しばし写真を見つめていた櫻井は、「そうだ、この窪みのところが山田峠で、ここで遭難があったといっていました」と稜線のくぼみを指差したのである。「この写真を見ていると50年前に引き戻されるようです。この稜線と遭難の話しはハッキリと覚えています。しかし、人間の記憶っていうのは凄いもんですねぇ。我ながら関心しますよ」と櫻井は笑った。

あの稜線をふたたび・・・
「また、ここに行ってみたいですね。あの景色をもう一度、見たいものです。でもクルマでは行けないんでしょう。体が言うこと聞けばねぇ」
「櫻井さん、大丈夫、行けますよ。来年の3月21日に芳ヶ平に行きましょう。草津からヘリコプターが飛んでいますから大丈夫です。芳ヶ平ヒュッテのご主人にも話しはしてあります」
「本当ですか!それは嬉しいなぁ。妻も連れて行っていいですか?ずいぶんと苦労をかけたものですから。いやぁ、今から楽しみです」

翌年の2007年は、スカイライン生誕50周年の年である。
我々は2007年の3月21日に櫻井眞一郎夫妻を芳ヶ平に招待することにしたのである。
51年前と同じ、雪景色の稜線を見るために・・・。(つづく)

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芳ヶ平ヒュッテと新堀夫妻
現在の芳ヶ平ヒュッテの三代目管理人。新堀御夫妻と愛犬たち。8年前から管理人を務めている。聖地訪問の際は、要予約だ。
※ただし、クルマで現地までは行けないので要注意!
衛星電話 090-4060-6855
芳ヶ平ヒュッテ 新堀まで
URL ; http://www.www21.cx/yoshi/

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芳ヶ平湿原
芳ヶ平ヒュッテ周辺は、貴重な高山植物や昆虫の宝庫だ。
ほぼ、櫻井氏が見た50年前の自然環境が保たれている。
したがって、高山植物や昆虫の採取はもちろん禁止されている。
訪問の際は、基本的なエチケットを守り、ゴミなどは必ず持ち帰るようにして欲しい。